「Parto da Giappone per Italia. (イタリアへ出発の日)」

いよいよイタリアへ出発。
いろいろ厳選した結果、1年間の生活のために選ばれた荷物たちは、トランク2個+手提げで計50Kg強。
ぜんぜん足りない気もするし、荷物のほとんどがえらい無駄な気もする。

さて今回のイタリアまでの旅は、初のビジネスクラス利用!
といっても、アメリカン航空でセコセコためたマイルでもらった無料航空券だけど。
まあ、1年オープンだと格安チケットでも20万近くするし、
さらにビジネスなら60万近くする。なんか今まで払った航空券代を一気に取り返した気分。

初ビジネスラウンジでは、JALの知的なお姉さまにラウンジ初心者を悟られないように努めつつ、
約50分で、生ビール3杯、無線LANでのメール、そして15分のクイックマッサージをすべてこなす。
ぜんぜん「リラックスしてお待ちいただけます。」というキャッチフレーズからかけ離れた行動・・・

いよいよ搭乗。ローマまでは12時間くらいのフライト。
ここでもビジネス初心者を悟られまいと、極力堂々と振舞う。
食事の写真もこっそり写す。スリッパと歯ブラシはこっそりかばんに入れる。
しかし、日系の航空会社のスチュワーデス(今風には、キャビンアテンダント?)は、本当によく働く。
もうキャバクラのお姉さん真っ青の働きっぷり。
たぶん外資系の航空会社の強気な外人のスッチーには、小さくなっているだろう親父たちが、
呼び出しボタンを押す押す、酒を頼む頼む。そしてスッチー達も嫌な顔するどころか、
頼んでもいないのに、お代わりはいかがですか?何かお持ちしましょうか?と働く働く。
いやー、アメリカではとっくの昔に失われた、スチュワーデスという光り輝くステータス(とかなりの高給)が、
彼女達をここまでさせるのかと妙に関心。でも憧れの職業ってずっとあったほうがいい、とは思う。
そのうちパイロットというステータスも、トラックの運ちゃんと変わらなくなってしまったら悲しいしなぁ。

結局、食事2回、間食2回(特製焼きおにぎりお茶漬けと「うどんですかい」)、ビール4本、
スッチーに進められるがまま、ワイン4杯、ジントニック2杯、ベイリーズのロック1杯、
抹茶アイスクリームを完食して、映画を5本見て(北の国から「帰郷」をやってた。泣いた。)、
「人間工学を考慮した広々としたシートでリラックスしてお休みいただく」ことなく、
あっという間にローマに到着した。12時間ずっと酔っ払ってた。

イタリア入国。イミグレーションはどこかのアラブ系の国とバッティングして、まったく進まず。
40分待たされた挙句、自分のときは日本人なので8秒ぐらいで通過。
入国スタンプを”頼んで”押してもらい、税関へ。悪名高いイタリア税関なので、ちょっと緊張。荷物も多いし。
かろうじて制服らしきものをを着ているぎりぎりオフィシャルの税関のオヤジ(以下オヤジ)
「タバコ2箱はまずいなぁ」(らしきイタリア語)
おれ「え?まじ」(日本語)
オヤジ「ダーメ」
おれ「あそう。(仕方ない、税金払うか・・・)」
オヤジ「このカメラは、デジタルか?」(イタリア語)
おれ「SI」(イタリア語)
オヤジ「ほんとにお前のか?」(らしきイタリア語)
おれ「SI」
オヤジ「ふ〜ん。いくら?」
おれ「500ユーロくらい」(英語)
オヤジ「いいカメラ持ってるなぁ、ほんとにお前の?」
おれ「SI」
オヤジ「ほんとにぃ?」
おれ「SI」
オヤジ「ふ〜ん。じゃあ、行ってよし」(らしきイタリア語)
ようやく、開放される。
あれ?タバコの関税はいいの?と思いつつも、言ったらとられそうだから、そのまま出口へ。
(あとで調べたら、タバコはほんとに1カートンまでだったけど。カメラに気を足られて”忘れた”んだろう)

ここから滞在地のフィレンツェまでは、列車での移動。
大家のMsBonciが、夜遅くまで待っていてくれているので、できるだけ早く行かなければ。
空港からローマテルミニまで行き、
そこでフィレンツェ行きのESスター(というえらい早いやつ)に乗り換えなければならない。
空港発19:37、定刻どおり出発。ローマ到着予定20:07、案の上20:15になってもまだ列車はローマに着かず・・
20:30発のESスターに乗らないと、MsBonciが待ってくれるという23:30に間に合わなくなってしまう。
列車は20:20過ぎにようやくローマテルミニ駅29番線に到着。
乗り換え時間は10分無い。かなりあせる。フィレンツェ行きの列車は・・・、なんと3番線。
50kg(+JALの機内でもらった水2本(1リットル)とタバコ2カートン)の荷物をひーひー引っ張りながら急ぐ。
ホームの下を横断する地下道を進み、漸く3番線の下まで移動。
が〜ん。ホームまで階段約40段(地下道へ降りるときはスロープだった・・・)。
時間はあと4分、荷物はスーツケース2個+手提げ2個(計50kg以上)、
絶対ピンチ、どーしよう、とてもすべてを持ち上げることはできない、
かと言ってスーツケースをひとつひとつ運んでる時間も無い。
とか考えているうちにあと3分。
う〜ん・・・・・・・・・(25秒)・・・・・・・・
結局“全部持って”階段を上がる。
一段一段死ぬかと思ったが、死ななかった。
何号車かわからないが、とにかく目の前の扉から、また“50kg”を列車にひきづり上げ、
無事乗車。するとすぐに発車。都合の悪いときに限って定刻に出やがって・・。

案の上、フィレンツェには、また40分遅れで到着。
イタリア国鉄が時速300kmを誇るというESスターは、ずっと20〜80kmぐらいで走ってた気がする。
(大体、本当に300kmも出るんだったら、フィレンツェまで1時間もかからん)

急いでタクシーを拾い、下宿へ。
約束の時間より30分遅れたけど、MsBonciは笑顔で待っていてくれた。
名前から勝手にお笑い芸人を連想していた大家さんは、意外にインテリな痩せたおばさんで、
悪名高いイタリア人大家とは、残念ながらかけ離れている印象。
かなり覚悟していたので、ちょっと拍子抜け。英語もぺらぺら。
また、部屋もモールトベッラ!とても小奇麗なダブルの部屋。

部屋と生活に関しての一通りの説明と、
これまで泊まっていたアメリカ人等の悪い生活例を(あからさまな“暗に警告”)一通り聞き、
早速シャワーを浴び、すぐに寝る。
東京の家を出てからちょうど24時間。ようやくイタリア新居に到着、しました。


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